はじめまして、せいてんと申します。
このページでは僕の自己紹介と想いをつづっていきます。
僕は現在30歳ですが、
数年前にインターネットを使ったビジネスに出会い、
現在月140万円程度稼いでいます。
論より証拠ということで画像を載せておきますね。
↓↓↓
軽く自己紹介をさせて頂きますと、
・インターネットビジネスで累計5000万円以上稼ぐ
・友人3人にビジネスを教えたところ、3人とも月収10万円以上稼げるようになる
・1日1時間~1時間半程度で月140万円を安定して稼いでいる
・5分で1万円以上稼ぐ場面を何度も経験する
・インターネット上に半自動的に稼げる仕組みを所有している
・メルマガ読者が200名を超える
・好きな時に買い物や旅行、趣味を楽しみ、旅行先で旅費以上を稼ぐ
このようなことを伝えると、
「本当はものすごく頭が良いんでしょ!」とか、
「センスがあったから稼げたんでしょ!」とか、
そんな風に思われることも多いのですが、
僕は数年前までビジネスをしたこともなかったし、
ましてや自分でお金が稼げるなんて思ってもいませんでした。
むしろ、才能やセンスとはほど遠い、普通以下の人間だったのです。
学生時代の成績は2がほとんどで、
頭の悪かった僕はいつも周りの人たちに劣等感を感じていました。
何かに取り組んでも、どれも中途半端で、
誰かに誇れるものなんて何一つ持っていませんでした。
大人に近づくにつれ、その劣等感は大きくなり、
自信をなくした僕は人と関わることにもビクビクするようになっていました。
僕の実家は自営業だったので、
私生活でもお金の苦労が絶えず、
「家にはお金がないから!」と言われ続け、
節約漬けの家庭で長い間育ってきました。
もちろん、両親には感謝していますが、
やはりお金がない生活というのは、
子供ながらにも辛かったのを覚えています。
こんな生き方をしてきた僕でも、
今では月140万稼げるようになり、
節約や我慢から解放されて、
ゆったりとした気持ちで日々を過ごすことができています。
稼ぐために使う時間も1日1時間程度なので、
お金と時間、両方の余裕を持てるようになりました。
突然こんなことを言われても
怪しいと思いますよね。
僕もビジネスを始める前は同じ気持ちでした。
ですが、そういう世界があるということも
頭の片隅に入れておいて欲しいのです。
以下では、何の能力もないダメ人間が
人生を変えていく様子を赤裸々に書きつづっています。
僕の過去とビジネスには繋がりがあるので、
段々と稼げるようになった謎が解けていくと思います。
目次
幼少期~小学生時代(病気を患い人と同じ行動ができない体へ)
僕は1歳頃に小児ぜんそくという病気にかかりました。
ぜんそくという病気は、
発作が起きると、
全力疾走で走った後に、
誰かに首を締められているくらい、
息が詰まって呼吸がしづらくなる病気です。
そして、その発作が数時間ほど続く時があります。
寝る頃になっても、
発作が収まらない時があり、
ゼーゼー言いながらなんとか眠りにつく夜も多くありました。
長距離を走ると必ず発作が起こるので、
体育の授業での長距離走はいつも不参加でした。
みんな嫌々走っているようでしたが、
それでも僕は長い距離を走れるクラスメイトがうらやましかったです。
走り終えた友達からは、
「○○は走らなくていいから楽だね」
と言われた時はすごく悲しい気持ちになりました。
そんな病気に苦しめられながらも、
友達と遊んだりして楽しく過ごす日々もありました。
学校が終わったら友達の家で、
当時流行っていたニンテンドー64の
スマブラやスーファミのストリートファイターなどを
指に豆ができるくらいやり続けていました。
熱中していると、
友達のお母さんから注意され、
そこでゲームがストップします。
休日には、
駄菓子屋にお菓子を買いに行ったり、
友達の家でミニ四駆を走らせたり、
木の板にたくさんクギを打ってビー玉を転がしたり、
昔ながらの遊びを楽しんでいました。
小学生の時はそんな毎日を送る、
至って普通の子でした。
僕がこじらせたのは中学校に入ってからです。
中学校時代~初恋、そして親友に裏切られる
中学一年の時、僕はある人に一目ぼれをして、
なぜかその子と付き合う流れになりました。
恋愛なんてしたことがないし、
その子とはどう接して良いかもわからず、
一向に距離が縮まらないままでした。
そんなこんなで一ヶ月程経った頃、
その子から手紙をもらったので、
手紙を開いてみると、そこには、
「別れてほしい」そう書かれていたのです。
その文字を見た瞬間、
体の芯が熱くなったように、
じわーっと込み上げるものがありました。
「フラれるってこんな気持ちなんだ」
初めての恋愛で、
ショックが大きかった僕は、
その頃から内にこもるようになりました。
なんだか自信もなくなってしまい、
授業中もよく寝るようになりました。
その後、
クラスメイトから誘われて
体操部に入ってからは、
誘ってくれた人とよく遊ぶようになりました。
部活がない日はイオンに行って
友達とコインゲームをしたり、
野球やゲーム、街中に出かけたりしていました。
そんなある日、
部活帰りに体操部の友達と
休憩所があるスーパーに行きました。
友達と休憩所で話していると、
見覚えのある奴がやってきました。
「タチの悪い不良が来た」
瞬間的に僕はまずいなと思いました。
その不良は開口一番に
「金くれや!」と友達にせびってきました。
しかし、その友達は無言で僕の方を指さしました。
おそらく、こいつからお金を取れ、
ということでしょう。
ターゲットが僕になったので、
何度も出し渋ったのですが、
その不良は何やら危ないワードを
次々と発しています。
その時は意味がわかりませんでしたが、
断ったらヤバいことになりそうだと直感し、
財布の中にあった全財産150円を差し出しました。
「もうこれ以上ないからやめてくれ」
そうお願いすると、その不良は帰っていきました。
落ち着いたのも束の間、
僕はさっきのことが頭をよぎりました。
「僕は友達に売られたのか?」
その友達とは、
好きな子の話をしたり、
夜も一緒に遊ぶことが多く、
僕の中では親友と呼べる存在でした。
それだけに僕はまたここで大きなショックを受けます。
「今までの付き合いはなんだったんだ」
そう思わずにはいられませんでした。
人を信じるのがだんだん怖くなっていきました。
その後、その友達には
何度も裏切られたので、
何も信用せずに付き合っていきました。
今思えば良いように使われていただけかもしれません。
そんなこんなで月日は流れ、
進学の面接を練習する時期になりました。
勉強をしなくなりアホになった僕は、
地方でも最低ランクの高校を受け、
なんとかギリギリ受かることができました。
実は、担任の先生からは、
最低ランクの高校すら
受かるか微妙だと言われていたので、
高卒の資格をもらえる特殊な学校も
滑り止めで受けていました。
そして、高校に入ると、
僕はさらにこじらせてしまうのです・・・
高校生時代~いじめ、バイトをクビに追い込まれる
僕が入った高校は、
地方でも最低ランクということもあり、
ひと癖もふた癖もある連中ばかりでした。
幸い中学時代の同級生がいて、
話し相手は見つかりましたが、
他のクラスメイトには、
なかなか馴染むことができませんでした。
何に対しても自信がなかったので、
クラスメイトに話しかける勇気もなく、
話しかけられても愛想笑いするばかりで、
まともに会話ができませんでした。
そのうち、皆が離れていき、
軽い、いじめの対象になりました。
授業中眠くなって、
机に頭を伏せていると、
髪に何かが触れた気がしました。
周りからはケラケラと笑い声がしています。
伏せていた頭を上げた瞬間、
僕の机には消しゴムのカスが落ちてきました。
「あ、誰かが投げたんだな」
すぐに察した僕は、
知らないフリをしてまた顔を伏せます。
その時は、そうやって乗り切りました。
しかし、他にも靴を隠されたり、
自転車をパンクさせられたり、
学校用のバッグを破られたりと、
結構悲惨なものでした。
そんなこと日々を繰り返しながら、
月日は流れ、誰も手を出さなくなり、
他の人にいじめの対象が移りました。
おそらく標的は誰でも良かったのだと思います。
今、思い出しても辛い出来事でしたが、
自分にも原因があると思ったので、
仕方ないとやり過ごしていました。
クラスメイトを見ていると、
半数くらいが携帯を手にしていました。
それを見て、僕も携帯が欲しくなり、
人生初のアルバイトというものを経験することになりました。
バイト先は近所のスーパーのレジ打ちですが、
ここにきてもまた失敗を繰り返します。
勉強をしてこなかったツケは大きく、
誰でも分かる簡単な作業でも、
「どうやってやればいいんですか?」
と先輩にしょっちゅう聞いていました。
レジで出たゴミをどうやって捨てるのか?
ということすら理解できないほどの頭の悪さだったのです。
他校の学生が仕事を覚え、
お客さん相手にレジ打ちを開始するなか
僕だけ、レジの打ち方がわからず、
レジ台を封鎖して一人レジでカタカタ練習していました。
他の人よりずいぶんと遅れて、
ようやくお客さん相手に
レジ打ちを始められましたが、
頭の悪い僕は野菜の種類を覚えられませんでした。
白菜、キャベツ、レタス、春菊
レジには複数野菜が持ち込まれるので、
一体どれがどれだか分からず、
毎回お客さんに野菜の名前を聞いていました。
ほんと恥ずかしくなるほどのアホさですよね。
スーパーのバックヤードでは
チーフに声が小さいと言われ、
他の社員たちが通っていくなか、
延々と「あえいうえおあお」と
発声練習をさせられます。
レジでの打ち間違いや、
お釣りを多く渡してしまうミスも多発し、
レジを閉めた後に恐い女の先輩にいつも怒られていました。
最初の頃は、
先輩もおおめにみてくれましたが、
ミスがなかなか改善しなかったので、
毎回怒られ、段々バイト先に居づらくなりました。
そうして、数ヶ月経つ頃には
バイト仲間は新たなバイトさんを指導したり、
トラブルにも対処できるようになっていました。
僕は相変わらずミスを続け、
バイト仲間との能力の差が目に見えて目立つようになりました。
僕がミスをすると、
先輩はあきれ顔になり、
「何回言ったらわかるの!ちゃんとやって」
そう言われることも多くありました。
僕なりに必死に頑張ってはいましたが、
頭の回転が遅すぎるため、一向に成長しませんでした。
「もうダメだ」
「このまま続けても迷惑をかけるだけだ」
そう思った僕は、
小さいノートの紙を破り、
「これ以上続けても迷惑をかけてしまうので、
バイトをやめさせてもらいたいと思います」
と日頃の想いを書き、バイトをやめることにしました。
それがバイトを始めて半年くらいたった頃です。
ちょうどその頃に、
スーパーには助っ人的な
おばちゃんが入ってきていて、
その人にこう言われました。
「人にはそれぞれ自分のペースがあるし、
誰でもミスはするから気にしたらダメだよ」
「本当に辞めていいの?」
そう言われた僕は涙をグッとこらえて唇を噛み、
「迷惑をかけるのが嫌なので辞めます」
そういっておばちゃんに最後の挨拶をしました。
それから月日は流れ、
やがて高3の夏が過ぎ、秋が過ぎ、
就活の時期がやってきました。
学校にいた就活アドバイザーの方に
オススメされた会社を受け、
採用されることが決まりました。
採用されて嬉しかったですが、
僕には留年する危険がありました。
テストも赤点が多く、
さすがにまずいと思ったので、
3学期はちゃんと勉強しようと決めました。
留年するかしないかを
担任から知らされないかと
ドキドキしながら過ごしていましたが、
どうやらギリギリ卒業できるらしく、
ホッとした気持ちで卒業式を迎えました。
しかし、僕のダメダメ人生は
ここで終わりではなかったのです・・・
社会人時代~失敗を笑われ、何度もクビの危機が訪れる
僕は家具を作る会社に入社しました。
入社後は主にスーパーの棚や、
レジ台などを作っていました。
工場では家具を図面を見て、
まず自分なりの組み立て方を考えて、
家具を仕上げていきます。
高校時代に図面を使った授業がありましたが、
何分の一の縮小がどうのこうのという話を聞くと頭がこんがらがっていました。
そんなレベルだったので、
会社で図面を見せられた時はげっそりしました。
工場には職人さんばかりで、
固い感じがする雰囲気に戸惑いました。
図面を渡されて説明を受けるのですが、
どうすればいいのか全くわかりません。
先輩に詳しく聞きにいきますが、
それでもわからないのです。
そんな感じながらも、
働き続けて少しだけ分かるようになってきました。
しかし、3 年で一人前と言われる職人の技術というのはそう簡単には身に付きません。
何度も何度もミスを繰り返します。
いくらやっても上達しません。
会社に行くたびに自信がなくなっていきました。
「俺には無理だ」
「俺には向いていない」
「もうやりたくない」
通勤中、仕事中、休憩中
あらゆる場面でネガティブな妄想に頭を支配されていました。
休日に息抜きに出かけても、
仕事の事が頭によぎって落ち込むことも多くなっていました。
その後も先輩に怒られたり、
ミスをしたりしていくなかで、
完全に自信を失ってしまいました。
先輩にはミスをする度に笑われました。
「俺は何のために存在しているんだろう・・・」
何をやってもダメ、人とも上手く付き合えない。
安月給、頭も悪い、友達も少ない、彼女もいない。
僕に中には劣等感しかありませんでした。
入社して 1 年ほど経った頃、
工場長から呼び出されてこう言われました。
「やる気がないならもう辞めるか?」
別にそんな素振りを今までしてきた訳ではありません。
おそらくこれ以上僕を雇っていても、
モノにならないと判断されたのだと思います。
ここで辞めたら本当にろくでもない男で終わってしまうと思った僕は、瞬間的に「続けます!」と言い切りました。
「そうか、それならいい」と言われその場は収まりました。
このままじゃいよいよマズいと思った僕は、
一度真剣に仕事に取り組んでみようと思いました。
相変わらずミスをしたり
指に切り傷ができたりと、
失敗は繰り返しますが、
真剣にやったおかげか
少しだけ仕事ができるようになってきました。
僕が勤めていた会社では、
工場長に一人前になったと判断されれば一気に給料があがります。
その時の僕の給料は手取り 12 万円。
実家に住んでいましたが、
教習場の講習代のローンや、車のローン、
食費や携帯代、生活費を除くと手元に残るのは数万円程度でした。
仕事は朝8時から始まり 17 時に終わります。
仕事中ミスをしてしまうと、
低いトーンでいつも怒られていました。
たいして回らない頭で考えながら、
必死に仕事をこなして、なんとか 1 日を終えます。
仕事が終わったあとは、
次の日のお昼ご飯用の 200 円の弁当を買うためにスーパーに行くのが日課です。
500円の弁当も目に付きますが、
とてもじゃないけど買えません。
スーパーに行く時間がない時は、
コンビニで 菓子パンを1 個買って、
それを昼ごはんとして食べていました。
会社の人からは、
「それだけで足りるのか?」と言われましたが、
「全然お腹減らないんですよ」と答えていました。
本当はお金がなくて、
まともな昼ご飯を買えなかっただけなんですが。
会社時代にはその影響もあって、
体重が61kg くらいになっていました。
現在は 66kg くらいで、
ちょうど標準体重くらいなので、
結構痩せていたのではないかと思います。
周りからもガリガリと言われてました。
スーパーから帰って家ですることといえば、
テレビを見ながらネットサーフィンをしたり、
学生時代に遊んでいたゲームをやってみたり、
たまに家の近くの川にルアー釣りに出かけたりするくらいです。
修学旅行以来、
旅行に行くこともなく、
遠出して釣りにいくこともできませんでした。
そもそも釣り具を買うお金がないので、
中古ショップで激安ルアーを少し買っただけでも金欠になっていました。
友達と遊びに行っても、
徹底的にお金を使わないようにしていました。
ファミレスでは食べたいメニューを横目に一番安いメニューを選びます。
ゲームセンターに行った時は、
友達と 500 円ずつ出し合って、
1000 円でコインを 200 枚手にし、
少しずつ使って時間を潰します。
映画を見るには1000 円以上かかるので、
映画館にもほとんど行ったことがありません。
お金をかけない最強の遊びは自宅で友達とゲームです。
少しだけお菓子を買って、
夕方までひたすら画面とにらめっこ。
友人との飲み会も年末年始に 1 回くらいしか参加していませんでした。
本屋で時間を潰すことも多く、
タダで本を読めるので何時間も滞在していました。
たまに観光雑誌が目につきますが、
自分とは縁のないものだと思い、
釣りの雑誌を置いているコーナーへ直行します。
とにかく平日も休日も
地元をぐるぐる回って遊び、
同じことばかりして過ごす日々でした。
どこに行っても、僕と同じような過ごし方をしていそうな人たちがいました。
でも、こんな光景もよく見かけていました。
・高そうな服を着ている人
・ジュースやポップコーンを買って映画館に普通に入る人
・高そうな料理店に友人と楽しそうに入って行く人
・釣場で見かける高い釣り具を持っている人
・かっこいい車を乗り回す人
・ファミレスで友人と旅行に行く話をしている人
・ショッピングモールで大量に商品を購入する人
・テレビで流れる公務員のボーナスの話
・ボーナスをもらって海外旅行に行った友人の話
どこへ行っても、目につくものに反応して、
お金がないことのみじめさを感じていました。
僕はといえば、
・服は特価品を買って本当に欲しい物は眺めるだけ
・映画館の手前で面白そうな映画の紹介がモニターで流れていても、それだけ見て移動
・焼肉屋や高そうなお店の前を通って「おいしそう」と思っても、入れないから素通り
・何年も前に買った釣り具をボロボロになるまで使用
・10 年落ちの塗装のはげた軽四自動車を乗り回す
・ファミレスでフライドポテトを噛みつつ、ただの雑談をする
・ショッピングモールでウィンドウショッピングするだけ
・ボーナスゼロ、余裕もゼロな日々。
貧乏生活まっしぐらでした。
実家も自営業で貧乏でしたが、それでもキツイです。
その後も仕事を続け数年経ちましたが、
一人前と呼ぶには程遠く技術はまだまだでした。
僕はこれから先の事を考えてみました。
「あと数年これ以上ないくらい本気で仕事に取り組めば一人前になれるかもしれない」
「でも、そうなると一生この会社で定年まで働く予定で生きていくことになる」
いつまで経ってもなじめそうにない人間関係。
一人前になったとしても手取り 20 万円いかない程度。
いろいろ考えた結果、
ここにはもう居たくないと思い退職届を出しました。
「しばらくは失業保険をもらいながら休息しよう」
そう思いました。
車のローンなども払い終わり、
失業保険を貰えるようになると、
美味しいものを食べたり、
遠出して釣りに行ってみたりしました。
こんなに充実した幸せな時間を味わったのは初めてでした。
「お金に不自由する生活はもううんざりだ・・・」
そんなことを本気で思いました。
「失業保険がもらえなくなったら、給料の高い職場で働こう」そう思っていました。
幸せだった休息の時も終わり、
徐々にお金がなくなってきました。
父は建築関係の自営業で、
忙しくなったから手伝って欲しいと言われたので、
手伝いながら仕事を探すことにしました。
雨などで仕事が無い時は、
職業安定所に行き仕事を探していました。
しかし、探せど探せど安い給料の会社しかありません。
たまに高い給料の会社を見つけますが、
どれもかなり専門性の高い仕事ばかりです。
資格など何も持ってなかった僕は応募すらできませんでした。
給料が高い会社を見つけた時に、
何度か応募してみましたが、
すべて書類審査落ち。
運よく書類審査に通って面接に行っても、
コミュニケーション能力が無さすぎて不採用。
いろんなところをことごとく落ちました。
貧乏な生活がどうとかか言う問題ではなく、
働けないのはさすがにまずいぞと焦り始めました。
しかし、いくら受けても落ちるばかり。
自分のコミュニケーション能力の無さに、ほとほと嫌気がさしていました。
本屋で崩壊した価値観
相変わらず再就職を目指していた僕は、
とりあえあえず資格を取れば受かりやすくなるかもしれないと思って本屋に行きました。
そして、資格の本が並んである棚に行こうと歩いている時のことです。
その途中にある別のジャンルの本棚でなぜか足が止まりました。
一瞬その本棚のジャンルを書いたプレートが目に入ったのかもしれません。
その本棚の中には、
「金持ちになる男、貧乏になる男」という本があり、
表紙には衝撃的な言葉が書いてありました。
貧乏になる男は、
「汗水たらして働けばお金は稼げる」と考える。
そして、中年になったとき、
それまでの約 20 年間の労働に見合うお金がほとんど残っていないことに愕然とする。
これを見た時、僕は顔面にパンチをくらったような衝撃を受けました。
まばたきをしないまま本をみつめ、体が固まってしまったのです。
やがて正気を取り戻し、
本の中身を見ていくと、
すると次々に目を逸らしたくなるような言葉が・・・
・貧乏になる男は「宝くじ」に期待を寄せ、
金持ちになる男は「行動を起こす」
・貧乏になる男は自分が金持ちになるに「値しない」と考え、
金持ちになる男は自分が金持ちになるに「値する」と考える。
第 4 章の題名を見てハッとしました。
「自分を信じて努力しているか?」
紹介したどれもが自分にはできておらず、
ただ現状を勝手に嘆いているだけだったのです。
この本は絶対読まないといけないと思って、
すぐに購入して家に帰り、読み漁りました。
本を読み終えた後、
「よし、僕はお金持ちになろう!」
そう決意しました。
しかし、その本にはお金持ちのなるための具体的な方法は書かれていませんでした。
お金持ちがどんな考え方で毎日を過ごしているか、ということしか書かれていなかったのです。
どうすればお金を稼げるのかが全くわかりませんでした。
それから数日経って、
家でネットサーフィンをしていると、
インターネットを使ったビジネスで
稼いでいるという方のページにたどり着きました。
一年間で数千万稼いだ実績があり、
日本各地を旅行をしたり、美味しいものを食べたりと僕とは正反対の生活を送っていました。
その方は「せどり」という稼ぎ方をしていました。
せどりとは、
いろんなお店に行って安い商品を買い、
ネット通販会社「Amazon」で高く販売して利益を出すビジネスです。
当時は、ネットで稼ぐと聞くと
怪しいイメージもありましたが、
これからの生活を変えられるなら
やってみたいという気持ちが勝りました。
僕の地元はあまりお店がないので、
「電脳せどり」という方法を試してみました。
電脳せどりとは、
ヤフーオークションやネットショップなどのネット上で
安い商品を仕入れて Amazon で販売する方法です。
電脳せどりはパソコン 1 台あれば
日本中どこにいてもインターネット上で仕入れられるので、
地元にお店が少ない僕は電脳せどりをやることを決めました。
初めて自分の力で稼いだお金
インターネットビジネスの
実践を始めて数日経った日の事です。
Amazon とヤフーオークションをにらめっこしていると、恐ろしく利益が出る商品に出会いました。
その時は、当時よく見ていたアニメのフィギュアを調べていました。
そのフィギュアはAmazon で 2 万円で販売されていたのですが、
その商品がヤフーオークションで売ってないか見てみると・・・
・・・9 千円?
過去に売られていた価格も見てみましたが、
同じ商品はどれも 1 万円前後で取引されていました。
「これはめちゃくちゃ儲けが出るぞ!」
鼻息を荒くした僕は、
早速オークションに入札しました。
数日後、オークションが終了し、
その商品を手に入れることができました。
取引相手から商品が届くと、
フィギュアの箱が潰れないように安全な場所に保管しました。
早速Amazonの管理画面を使って、
その商品を 2 万円で出品しました。
そして、出品してから1 週間ほど経ったある日、
もう一度管理画面を開いてみました。
「商品が売れたので購入者に発送してください」
そんなメッセージが表示されていました。
「本当に売れたんだ・・・」
「いや、これはいたずらだからキャンセルさせるよ」
そんな事を思いながら、
段ボールに商品を丁寧に詰め、購入者に発送しました。
しばらくして、購入者に問題なく商品が届いたことを知りました。
しかし、まだAmazon からお金が振り込まれていないので、
本当に稼げたのか半信半疑です。
それから数日経って、
Amazon から僕の口座に振り込む日がやってきました。
Amazon から「○○円を振り込みました」とのメッセージ。
「ほんとかよ」と思いながら、
振込先の銀行の ATMに向かいました。
「ピッピッピ」
「暗証番号を入力してください…」
口座を見てみると明らかに残高が増えていたのです。
(当たり前ですが)
「本当に稼ぐことができた・・・」
僕はATMを見つめながらしばらく放心状態になっていました。
2 万円で売った商品は、
Amazon からの手数料を引いて
18000 円ほどの売上になりました。
1万円を切るくらいで仕入れたので、
利益は 8000 円くらいになりました。
興奮した僕は家に帰り、
「よっしゃー!」と何度もガッツポーズをしました。
こんな大金を稼ぐのは初めてでした。
「これだ!」と思った僕は、
ひたすら電脳せどりを実践しました。
僕は父親の手伝いから帰ると、
毎日 1 時間ほど電脳せどりを実践しました。
徐々に利益が増えていき、
3ヶ月目には月50万円を稼げるまでになりました。
仕事現場への移動中や
お昼ご飯を食べている時に、
稼げる商品のお知らせが来るので、
少し確認して仕入れていました。
たった数分で 3 千円の儲けや
5 千円の儲けが出ることもあり、
昼飯片手に何千円も稼げる日々が当たり前になっていました。
ちょうどこの頃、いつものようにボロボロの車を運転していました。
交差点を右に曲がろうと思い、
右折レーンで待っていると、
突然ハンドルの前のタコメーターやランプの光が弱くなりました。
右に出していた指示器が今にも消えそうです。
どんどん光が弱くなり、
ウルトラマンの胸の光のように「ピコン、ピコン」と点滅を始めました。
これはマズいと思い、
対向車がいないのを確認して、
右に曲がった先にある 100 円ショップに停車しました。
すると一気にランプが消え、
エンジンが勝手に止まり、
一切動かなくなりました。
知り合いの車屋さんを呼ぶと、
発電機がダメになっているらしく、
修理するには 10 万円以上かかると言われました。
その車はそれまでに
何回も他の部分を修理に出していて、
これ以上直しても修理費がかさむだけだと思い、
以前から欲しかった普通車をローンを組んで購入しました。
その車に乗り早速遠出をして釣りにいきました。
普通車になり排気量も上がたので、
坂道でもエンジンがうならず、
ペダルに軽く足を乗せただけですいすい上っていきました。
こんなに運転が快適になるのかと衝撃を受けました。
すっかりお気に入りの車になってあちこち出かけるようになりました。
稼げるようになってからは、
特別な日でもない平日に、
焼き肉を食べに行きました。
値段も気にせず好きなだけ頼んでみました。
美味しいお肉でおなかも満たされ、
「食った、食った」と言いながら幸福感に浸っていました。
高そうなお寿司屋さんにも行きました。
板前が目の前で握ってくれたお寿司をほおばります。
「うまい!」と思いながらお腹も心も満たされていきます。
いつも行っている服屋にも行きました。
以前は買えなかった 3 千円くらいの服など、
その時欲しかったものは全部買いました。
初めて実費で旅行にも行きました。
今までは、高速料金を払うお金がなかったので、
県外にも旅行したことがありませんでした。
お金を稼げるようになって初めての経験をたくさんしました。
味をしめた僕は、
それからも電脳せどりをひたすら実践しました。
電脳せどりを始めて 6 ヶ月後には月140 万円くらい稼げるようになっていました。
これくらいになると、
以前まで抱えていたお金に対する不安は全くなくなりました。
自由にお金を使えるようなると、
ショッピングを楽しんだり、
気になったお店にふらっと食べに行ったり、
釣りでの遠出や日本各地への旅行も頻繁に行けるようになって、
毎日がかなり充実するようになりました。
映画が見たくなれば、
平日の夜に出向いて、
ポップコーンやフライドポテト、
ジュースなどを頼むので、
合計2500 円くらいかかりますが、
出費が全く気にならず純粋に映画を楽しめるようになりました。
電脳せどりは利益が出た商品を
何度も仕入れることができます。
商品というのは、
日本中の誰かが同じ商品を保管しているので、
一定の割合で同じ商品がヤフオクに出品されるからです。
稼げる商品をリスト化していけば、
1 ヶ月あたりの利益額がどんどん増えて、
毎月安定した収入をもたらしてくれます。
僕はある程度稼げるようになると、
商品リストを増やすことをやめました。
稼げる商品リストを見て仕入れるだけにしたので、
1 日 1 時間程度で作業を終える生活にシフトしました。
電脳せどりは、かなり頭が悪い僕でもすんなり始めることができました。
商品を安く買って、
高く売れる場所で売る。
たったこれだけで 1 個数千円の利益が出るからです。
それに毎月安定して利益が出るので、
あれこれお金に対して不安になったりすることもなくなりました。
稼げるようになるまでの人生は、
しんどいことも多かったですが、
電脳せどりを始めて本当によかったと今でも思います。
僕が稼げる情報を発信する理由・理念とは?
まずは、長い僕のプロフィールを読んでいただきありがとうございます。
ここまで読んでくれたあなたは、
現在収入に不満があったり、
足りないと感じているからこそ興味を持ってくれたのだと思います。
お金のことを常に気にしたり、
節約や我慢を重ねる日々に嫌気がさしているのではないでしょうか。
僕もそうでした。
仕事をいくら頑張ってもなかなか給料は増えないし、
長く勤めるほど仕事や責任が増えて負担も増します。
それでも生活するためには稼がないといけません。
目覚ましにたたき起こされ、
眠い目をこすりながら会社に行く準備をし、
職場という気が重くなるような場所に向かい、毎日必死に働きます。
仕事をこなすだけではなく、
口うるさい上司や苦手な人にも馬を合わせ、
感情を押し殺す日々が続きます。
「生活のためには仕方ない」と・・・
それでも人間ですから、
じわじわとストレスがたまっていきます。
しかし、ストレスを発散したくても、
給料のほとんどが生活費に消えていく日々。
それでもちゃんとやりくりしながら
自分なりの楽しみを見つけて毎日頑張ってきたのだと思います。
僕はサラリーマンとして
生きていくことに耐えられなくなり逃げ出しました。
何年、何十年と大変な日々を送ってきたあなたは本当にすごいと僕は思います。
僕はそんな日々を送ってきたあなたには、
これからはもっと毎日が充実して、
休日が楽しみで仕方ないような生活を手に入れて欲しいと本気で思っています。
僕は、「誰でもお金に不自由することなく幸せな人生を送るべき」そう思っています。
我慢ばかりする人生なんておかしいです。
それぞれに個性があって、
やりたいことがあって、
送りたい生活があるはずです。
僕らは働くためだけに生まれてきたわけではないんです。
もっと人生を楽しんでもいいんです。
もっと好きなことを自由にできる毎日を送っていいんです。
贅沢だとかいうのは誰かが勝手に決めたルールです。
そんなルールは関係ありません。
あなたの好きなようにすればいいのです。
あなたが楽しまなくて
誰があなたの人生を充実させてくれるのでしょうか?
僕が貧乏から抜け出して幸せになれたように、
あなたも幸せになることにブレーキをかける必要はありません。
どんどん欲しいものを手に入れて、
幸せで充実した人生を送っていいんです。
・欲しい物は欲しいと思ったときに買う
・美味しそうなお店を見つけたら、そのまま入る
・友人との遊びや飲み会などの出費も気にならない
・観光雑誌を見て、普通の休日に旅行に行く
・イベントやライブ、趣味の関係で遠出が必要になっても、すぐに行く決断ができる。
僕は今、こんな生活を送ることができています。
あなたも月に 10 万円程度の副収入があれば、
こういった生活を送れるようになります。
もうお金を気にして行動を制限したり、
我慢を繰り返す毎日を送る必要はありません。
それに、月に10 万程度稼ぐくらいであれば、才能など関係ないです。
僕自身かなり頭が悪かったですしね。
もしかするとあなたは、
会社以外でお金を稼ぐということは未経験かもしれません。
経済的自由を手に入れるためには、
稼ぐ方法を知ることが一番の近道です。
知識がないと上手くいくものもいかなくなります。
僕はメールマガジンを発行しているのですが、
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